2009年6月8日月曜日

エストニアのソバが食べたい(★)

6月8日

来年の7月下旬、モスクワの南アリヨールで、第11回の国際ソバシンポジウムが開催される。今回は是非ともペテルブルグへと思っていたから、お隣のエストニアを訪ねない手はないだろう。

 エストニアにはかなりのソバ畑があるようだ。
 ソバの立場から見ると、北の国で一番気になるのは生育期の長さと日長である。
夏至の日の日照時間は19時間、冬至の日は逆に6時間しかありません。5月上旬か
ら7月下旬にかけて「白夜」と呼ばれ、深夜でも真っ暗になることはありません。
よほど日長反応性の弱い品種でなければ育つまい。

1番寒さの厳しい2月の気温は -3.5℃~-7℃、日の1番長い6月は16℃~20℃
になりますが、エストニアの気候は北海道とそう変わらない。
 北海道の幌加内町が日本一のソバ栽培地だから、北海道へと気楽に思えばよいだろう。

エストニアには1,500以上もの島と1,000以上もの湖があり、さらに国土の半分が森に覆われているそうだ。国土はほぼ平坦で、自然の豊かな国で、ヘラジカ、イノシシ、クマ、オオヤマネコがエストニアに生息している主な哺乳類。
これもまた素晴らしいではないか!

 ところで、私がこれまで歩いてきて感じているのは、民族料理には、そこの自然と歴史的に作り上げられてきた庶民の生活様式が常に反映している。
 北海道のソバ料理はあまり特殊なものが無いように感じられた。多分、北海道にソバが広く栽培されるようになってから未だ日が浅いからだろう。
 海に面していて、魚が豊富で、狩も盛んなところのソバ料理なら、さしずめ日本の東北地方の海岸近い村に残る料理ではないか・・・などと、想像してしまう。

 ものの本によると、19世紀の終わりまで、まともに食事をするのは日に1度夕食時だけで、そのときカーシャかパフリョーフカ(野菜スープ)が出されたとのことである。
 最も普及していた料理が、大麦の挽き割りで作るパフリョーフカだった。それは少しの牛乳を入れた水で煮られたが、それも主婦の気前次第だった。時には、わずかな脂やバターが入れられた。パン、塩漬けにしんと一緒にパフリョーフカを食べた。
 エストニアの北部や西部では、水曜日と土曜日毎に夕食に添えてカーシャが出された。この日を首を長くして待っていた、カーシャは美味しい料理の一つと考えられていた。

 ここで紹介されているカーシャはソバのカーシャではないだろうか?

丁度同じ頃の東北の農村の姿を思い描いてしまう。

 日本の食生活は、おしなべて豊かになったようであるが、「手打ちそば」だけが日本文化の象徴のように言われると、私はソバに申し訳ない気がしてしまう。
 こんな話は、日本の項で細述しよう。

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