2009年6月7日日曜日

ダッタンソバ入門(2)(★)

6月8日

イスタンブールの街は如何でしたか?
ヨーロッパのソバの歴史にとって東西の交流は大きな意味を持つものなので、イスタンブールの空気を味わっておいたのは良かったと感じる日が近いかと思います。

一応、今日はダッタンソバ入門の続きをお話しすることに致します。

その前に、
私には日本にもっと早くからダッタンソバ(ニガソバ)が栽培されていても不思議ではなかったのではないかと思えるのでして、「日本のソバの七不思議の一つ」に思えるのです。一寸心に留めて置いて下さいね。

● ダッタンソバの種実


普通ソバが三菱形をしているのに対して、ダッタンソバはムギやコメのような丸い型をしており、殻と呼ばれ果皮がはがれにくい。これがダッタンソバを苦ソバと呼ぶ苦味にもとである。
そのほか、葉の形は本葉は心臓形で上に行くほど尖ってくるのは普通ソバと同じであるが、一般に少し薄くて柔らかく、葉の表面に毛が殆どない。
また、草丈はダッタンソバの方が普通ソバの1।2~1.3倍程度高いものが多い。


● 起源と伝播


ソバ属の主なものには普通ソバとダッタンソバ、宿根ソバ3種があるが、何れも中国の南西部の貴州、四川、雲南あたりの山岳地帯で起源したと推定されている。
そのうちのダッタンソバは、シベリア、インド北部、ネパール、ブータン、中国北部、東北部、北鮮、韓国、カナダ、アメリカなどに分布しているが、自殖性だから野生で残るものもあるから、普通ソバよりもかなり広い範囲に分布している。しかし、起源地の中国南西部からこれらの地域への伝播の経緯については、普通ソバよりさらによく解らない。
例えば、旧大陸の中では最も新しく伝播し、記録も揃っているはずのヨーロッパでさえもはっきりしていないのが実情である。1730年代にヨーロッパのいくつかの植物園で収集されており、大体その頃に雑草として種子が普通ソバに混じって伝播して、環境不良な地域でダッタンソバのみが生育し、栽培されるようになったのではないかと推定されている。とにかく、ヨーロッパへは普通ソバより2、3百年ばかり遅れて伝わったようである。また、当時はヨーロッパの寒冷と食糧危機の時期にあたり、開墾地で栽培されたようである。
では、最近の数十年はどのような扱いを受けて来た作物だろうか。いくつかの事例で示そう。
ヨーロッパではルクセンブルグの西北部イスレクという開拓地に今も栽培されていて、来年にはダッタンソバのソバ祭りを計画している。しかし、他の国々には今はもうほとんど残っていないようである。スロベニアの場合には、25年位前までは、普通ソバの畑に20パーセント程度までは混入していても無害なものとされていたが、現在では混入は殆ど見られない。カナダの東部へはヨーロッパから導入されて、飼料作物として盛んに栽培されていたが、いまではここでも雑草の扱いを受け、防除の研究が盛んに行われている。
また、現在最も生産量が多く、研究にも力を入れている中国でさえも、政府によって栽培禁止令出された時期があったとも伝えられている。
これらを総合すると、日陰の作物として生き続け、最近健康食の名のもとに、急に注目を浴びてきているのがその運命と言えるのではないだろうか。


● 栽培地の分布と環境


ネパールについては、4,5日後に詳しく紹介しますが
南部に広がるテライ平原を除けば、ほとんどの地域で普通ソバもダッタンソバも栽培されているが、地域によってその比率は大きく異なる。東部に普通ソバが殆ど栽培されていないのは、モンスーン地帯の西端に近いこのあたりでは、開花期の雨が昆虫の行動を抑制し、受粉を妨げるのが大きな要因の一つと考えられる。
なお、亜熱帯のテライ平原でも普通ソバの栽培が若干見られるのは、ソバを好む山岳民族が最近になって移住してきたためである。

中国のダッタンソバの栽培地は、先日一寸紹介しましたが、雲南、四川、貴州、チベットと甘粛、きょう西、山西省などで、標高が1500~3000mの高標高地帯の寒い地域に分布する。普通ソバとダッタンソバの分布を比較すると、図からも明らかなように、普通ソバがきょうせい省の山岳部を境として北に多く分布するのに対して、ダッタンソバはそれより南に多い。これはネパールの場合に言及したように、栽培時期の降雨との関係が大きいのかも知れないと推測される

また明日からの旅、Eの頭文字の国ですが、どこだと思いますか?

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