やっとクラコフでカーシャを食べられた。
でも、あれはポーランドの伝統料理の一つとされているクラコフカーシャではない。クラコフからワルシャワへ遷都した後に、アン女王がクラコフを懐かしがって作らせた女王様のカーシャではない。
余談になるが、アン女王とアン王妃が同一人物なのか別人なのかが分からなくて困っていたことがある。年代から全く同一人物に違いないのだが、両方の表現があるのが納得できなかったわけだ。王様を婿にとっても、相続した王位は保つ。日本人には一寸分かりにくい制度。しかしこれが納得できて、ヨーロッパの戦争のやりかたがわかったような気がした。男性の王が右側から、女性の王が左側面から攻撃をかける強さのようなもの。領土拡大とソバの関係は・・・直接関係があるわけではないが、それが分からないと、どうもヨーロッパが分からない。
もっとも、ここに話し始めたソバの好きなアン女王は、きわめて貞淑な王妃様だったとか。
「カーシャ」と呼ばれるものをそれまで何度も食べてきたが、相も変わらずしっくりしない。ブラブラとクラコフ城外の町を歩きながらスーパーマーケットへ入ってみた。あった、あった!棚にカーシャがずらりと並んでいた。勿論一番先に目に付いたのはソバのカーシャ
しかし、棚にはオオムギのカーシャも、オートも、豆類、トウモロコシ、勿論コメと、さまざまなカーシャ並んでいた。
穀類や豆類の殻を取り除いた実をカーシャと呼ぶのだとは、知識では知っていても、なかなか実感がわかない。
ソバだけでも、重湯ののようなものから、ピラフもケーキも何でもかでも含めて、カーシャと呼ぶ。つまり粉どは違うんだと。
そこで、「日本はライスカーシャの国なのだ」と結論できて、何やらほっとしたような。
以前1982年にワルシャワを始めて訪れた時、街を歩き疲れて、超空腹になり、立ち食いの店に寄って「あー、お腹が空いた。ワンワン」といったら、日本人かとたずねて、どんぶり一杯の白米粥を出してくれた。
銀シャリも、お粥も、雑炊も、小豆粥も七草粥も・・・全部ライスカーシャなんだ。
そのスーパーでの心残りは、各種のカーシャの写真を撮り忘れたこと。
坊やをからかうのに夢中になってしまって、本業(?)は忘却。
とにかく、ポーランドの子供たちは可愛くて、面白い。
クラコフの散歩はまた後日に致しましょ
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