2009年8月5日水曜日

モラビア(★)


写真はモラビアのソバ畑 (2004年8月22日)
ソバ畑を見た後で、ソバの製粉工場を見学した。
中々の風格のある老舗で、カーシャがどんどんと吐き出されていた。
だから、製粉工場と呼ぶのは間違いかもしれない。

チェコとモラビアのソバ栽培は12,3世紀頃から盛んになり始めたようで、1596年には押し葉標本があり、毎日の食用に用いられていると付記されているそうである。

ハンガリー・オーストリア帝国の支配下を経験し、その後ボヘミアのチェコとスロバキアとともに1918年に独立を果たしたが、すぐにドイツの、続いてソ連の影響下に生きざるを得なかった。
現在の国名から言えば、モラビアはチェコ共和国の一員であり、私たちは普通はチェコと呼んでしまう。
そのチェコ共和国は、ドイツに突き出たボヘミアとモラビア、さらにポーランドに繋がるシレジアから成り立っている(?)
私はここでその歴史をたどろうとしているのではない。辿ろうとしても出来ないだろう。

とはいえ、チェコといえばすぐにプラハを思い浮かべるが、チェコのソバはモラビアにある。しかもモラビアの東南端のシレジアにソバの伝統的な料理が多ようである。

シレジアと呼ばれる地域は現在のポーランド南西部からチェコ北東部(プロイセン王国時代の行政区画も含めればドイツ東部のごく一部も)に属する地域の歴史的ま名称で、支配者は様々に変化してきた。ヨーロッパの中でも最も複雑な歴史を持つところとされている。
伝統的なソバ料理のあるところは、現在モラビアに属していて、モラビアーシレジアと呼ばれている地域である。

料理は自然環境と歴史によって育てられてきたものだろう。だから歴史は知りたい。
しかも、モラビアで、メンデルは実験材料にエンドウを使いながら、ソバのカーシャを食べていただろうかとか、ヤナーチェクの曲にソバの香りが漂っていないだろうかとか・・・

ところで、ソバの実の殻をとったものを、日本ではソバゴメと呼び、業界用語では「丸抜き」と名付けているが、あれはヨーロッパのカーシャとは違う。
いや、広い意味ではカーシャかもしれない。
日本ではソバ焼酎を造るために大量生産の方法が開発され、原料を日本に買い叩かれていた中国は、付加価値を付けようと、ここでも大量生産を始めた。中国産のカーシャは、世界各地に宣伝されている。ヨーロッパで中国産のカーシャを見つけてみたくなってきた。

ヨーロッパのソバ事情を示すキーを、チェコが良く示していると、私は思うのだが、続きはまた後ほどにしよう。

ただ今 息切れ・・・

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